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2008年03月19日

五薀仮和合と仏教


難しいですよね。
なるべく勉強したいと思います。

仏教では、ここで説かれるような実我を常一主宰と規定付けた。すなわち、我は、常住であり、他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え、それは働きのうえで自由自在の力をもつとした。この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである。

釈迦はこのような実我観念を批判し、「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた。これを色受想行識の五薀について説き、人間生存は無我である五薀の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた。


補特伽羅説
この点を強調した仏教徒たちは、かえって、この仮和合の仮有に執着し、要素への分析が我執の除去であることを忘れ、人間生存への真面目な努力を無視するようなことになり、人格を見失うようになった。これを回復しようとしたのが、犢子部(とくしぶ)の補特伽羅(ふとがら、pudgala)であった。すなわち、存在を精神や物質の諸要素に分析し、さらに両者の結合を要素的な力に分析した考えに対して、これらを統一し人格付与の働きを補特伽羅としたのである。しかし、このような立場が一種の我的なものへの執着となることもありうる。このような傾向に対して、この無我を救うものとして、縁起の施設我、仮我を主張する考えがあらわれた。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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